音楽

知られざる名曲と古楽器が支える『ざくろ屋敷』

「絵画」「声」と共に『ざくろ屋敷』を支える三本の柱のひとつが、「音楽」である。演奏にチェンバロ・フォルテピアノ奏者として活躍する上尾直毅氏を迎え、選曲のひとつひとつにこだわり抜いた音楽構成が敷かれている。

使用楽曲

  • C.P.E. バッハ「ファンタジー嬰ヘ短調」より
    (クラヴィコード)
  • G. F. ピント「ピアノのためのグランドソナタハ短調」より第2楽章
    (フォルテピアノ)
  • F. ヤニェヴィチ「カドリーユ “レ・ランシエ”」
    (フラウト・トラヴェルソ、ヴァイオリン、チェロ)
  • J. フィールド「ノクターンイ長調」より
    (フォルテピアノ)
  • 民謡「A la claire fontaine(澄んだ泉で)」
    (ソプラノ、ミュゼット)

[演奏者]

上尾直毅 :
クラヴィコード、フォルテピアノ、ミュゼット
鈴木美紀子 :
ソプラノ
前田りり子 :
フラウト・トラヴェルソ
荒木優子 :
ヴァイオリン
多井智紀 :
チェロ

主題歌 『A la claire fontaine(澄んだ泉で)』

本編において、ソプラノ歌手である鈴木美紀子さんの美しい歌声で歌われるこの曲は、『ざくろ屋敷』の舞台となるトゥーレーヌ地方に伝わる民謡で、フランス人なら子供でも知っているポピュラーな歌である。今回の録音においては、18世紀以前にフランスで大流行した小さなバグパイプ「ミュゼット」により上尾直毅氏が伴奏を付けている点も注目である。

また、深田晃司監督は、書かれた世界として既に完成されている「ざくろ屋敷」を映像化するにあたって、先鋭的な映画作家としてのマルグリット・デュラスを常に意識の内に置いていたと言うが、そのデュラスもまた著作『ヤン・アンドレア・シュタイナー』の中でこの美しい歌を引用している。

ジョージ・フレデリック・ピント
George Frederick Pinto (1785-1806)
「ピアノのためのグランドソナタハ短調」より第2楽章

病が進行し外に出ることも出来なくなった夫人が、子供達にピアノを弾いて聴かせる、原作においては「祝祭」と表現される場面で使用される。本作「ざくろ屋敷」において最も重要な音楽であると言える。監督は、初めてこの第2楽章を聴いたとき、その美しさに驚き、即座にこの曲を完全に聴かせ切る決心をしたと言う。

18世紀の中頃にイギリスで最も有名であったヴァイオリン奏者の1人であったトマス・ピント(1714-1783)を祖父に持ち、1714年にこの世に生を受けたジョージ・フレデリック・ピントは、幼少の頃から音楽的才能をめきめきと現し、彼の師であったザロモンから「天才」とまで呼ばれた。

G. F. ピントは11歳でヴァイオリン協奏曲を初めて公衆の前で演奏し、それ以後イギリス各地をはじめパリにも2回演奏旅行に出かけるなど、輝かしい経歴を残している。しかし、19歳の時に彼は病気にかかり、そのまま活動を停止し、1806年に21年という短い生涯を閉じることになる。彼の死後、友人のサミュエル・ウェスリーは、「これほど偉大な音楽の天才は今までいなかった」と述べ、ザロモンは、「もし彼が生きながらえて、社会の誘惑に屈せずにいられたならば、イギリスは第2のモーツァルトを生み出す名誉を得たであろう」と評している。

死後、ピントは急激にその存在を忘れ去られてしまった。
現在、ピントの作品に関しての評価は、ピアノ作品にはベートーヴェン、シューベルト、そしてショパンさえも先取りしている部分が見られる、とされ、歌曲に関しては、20歳以前にピントの作品より印象的な歌曲を書いた作曲家はシューベルトのみである、とも言われている。

カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ
Carl Philipp Emanuel Bach (1714 – 1788)
「ファンタジー嬰ヘ短調」より

導入部で使用される。クラヴィコードは、14世紀頃に発明されバルザックの生きた1840年代まで製造された鍵盤楽器である。チェンバロよりも小さく、音も非常に静かなため、その録音には慎重を要する。はじくような、独特な音色が美しい。

C.P.E. バッハは「ベルリンのバッハ」、後に「ハンブルクのバッハ」として当時大変よく知られていた、鍵盤音楽史上最も重要な音楽家の1人である。大バッハ(Johann Sebastian Bach) の次男として大バッハの最初の妻マリア・バルバラとの間に1714年に生まれる。1738年(24歳)の時、プロイセン皇太子(後のフリードリヒ大王)の宮廷楽団員となり、2年後には宮廷楽団の第1鍵盤奏者となる。1767年(53歳)フリードリヒ大王のベルリン宮廷を辞職し、テレマン亡き後のハンブルク市の音楽監督に就任し、1788年(74歳)に他界するまでこの地に留まる。多数の鍵盤作品、室内楽、管弦楽曲、声楽作品を残すとともに、2巻からなる理論書「正しいクラヴィーア奏法」を出版し、これはベートーヴェンなど後の音楽家に大変大きな影響を与えた。C.P.E. バッハの作風は、バロックにもウィーン古典派にも属さないスタイルで、現在の音楽史的見解からは「多感様式」と呼ばれる。

特に幻想曲というジャンルは鍵盤独奏用の独自のスタイルで、枠組みで縛られない自由な発想で書かれ、彼自身の即興演奏を楽譜に書き留めたものと理解することが出来る。歌うスタイルと共に、彼自身が「語りの原理」と呼ぶ、詩を朗読するかのような音楽が繰り広げられる。幻想曲嬰ヘ短調はC.P.E. バッハが無くなる前の年、1787年に作曲された最晩年の作品である。

フェリクス・ヤニェヴィチ
Feliks Janiewicz (1762-1848)
「カドリーユ “レ・ランシエ”」

パリの舞踏会の場面で使用される。この舞踏会は、『人間喜劇』における重要な登場人物であるボーセアン夫人の舞踏会を想定して描かれている。その様子は、バルザックの代表作『ペール・ゴリオ(ゴリオ爺さん)』の中で詳しく知ることが出来る。

ヤニェヴィチはポーランド出身の作曲家、ヴァイオリニストで、1785年にウィーンに行き、そこでハイドンとモーツァルトに出会った。その後、イタリア、フランスと渡り歩き、各々の国で成功した後、92年にはイギリスに行き、そのままこの国に定住する。イギリスではハイドンの交響曲の演奏にも加わった。1803年にリヴァプールで「楽譜・楽器商会」を設立し、その後約25年間にわたって営業を続けた。

カドリーユはもともと18世紀のフランスのコントラダンスが変化したもので、19世紀に入ってから最も流行したダンスのひとつである。ヤニェヴィチが音楽をつけた「カドリーユ・デ・ランシエ」は、舞踏教師ラボルドによってパリに紹介された後、ヨーロッパ中で人気を集めた。

使用楽器

クラヴィコード :
小渕晶男 2005年製作(C.G.フバート1772年の楽器を基にした音域変更モデル)
フォルテピアノ :
野神俊哉 2005年製作(A.ヴァルター1800年頃のモデル)
ミュゼット :
パウル・ベークハウゼン 1996年製作(18世紀シェドヴィルモデル)

音楽スタッフ

録音 :
児島巖
調律 :
栗田夏子
スコアチェック :
土居瑞穂

録音場所日時

  • ティアラ江東小ホール(2005年10月25日)
  • 所沢松明堂ホール(2006年3月7日)

コメントは受け付けていません。